2011年御翼10月号その4

問題を問題としないで生きる--- 佐々木満男氏

  

クリスチャン国際弁護士・佐々木満男氏が、人生の問題に関して以下のように言っておられる。

問題に関する三つの真理

第一番目は「どんな問題もたいしたことはない!」
 「どんなことにもくよくよするな!」という講演会の前には、よく大問題が起きるという。ある時は前日に、4時間も国際電話をした。へたをすると、先生の人生全体が崩壊するような重大問題だったという。「心配だ。明日、スピーチができるんだろうか」と、夜も眠れない。「大変だ、大変だ」という思いで、広島駅にたどり着き、駅の食堂で広島名物の「かき丼」を注文したが、気分が重くてのどを通らない。しかし、皆さんの前に立つと不思議に元気になる。「これは神さまが、『お前、いつもくよくよしているから「ドント・ウォリー!」のスピーチでもやって元気になれ!』とおっしゃっているのだと思います。たいしたことはないのですね、本当は。つい深刻に悩んでしまいますが」と先生は言う。これは2004年のスピーチであり、この問題も解決したのであろう。
第二番目は、「どんな問題もなんとかなる!」
 どんな問題もたいしたことないから、なんとかなるのだ。 
最後の第三番目、「どんな問題も益(えき)になる!」
 これも、聖書の言葉であり、神がそうおっしゃっているのだから、実際、問題はことごとくプラスになる。(ローマ8:28 「神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っています。」)


問題に対する三つの考え方

第一に、「耐えきれないような問題はない」
 自分で勝手に、「もう耐えられない!」と思っているだけである。(コリント第一10:13 「あなたがたを襲った試練で、人間として耐えられないようなものはなかったはずです。神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます。」)
第二に、「問題は初めから解決されている」
  どんな問題にも「逃れの道」が初めから備えられていると聖書に書かれている。あらゆる問題も神の手の中にあり、解決できるようにできている。「解決は初めからちゃんと備えられている。それを探しなさい。それを探したら、あなたはすばらしい宝物をもらえるんだよ」、ということなのだ。「また嫌な問題がきたな!」と思った時に、「あっ、この間題は初めから解決されているんだ!」と思ったら、気が楽になる。そうすると、緊張が解けて、解決の糸口が割にスッとつかめる。最悪の場合、「問題そのものを忘れてしまう」、ということもできる。「放っておいたら、いつの間にか解決していた」なんて問題もたくさんあるのだ。
第三番目は「神よりも大きな問題はない」
 「初めに神が天と地を創られた」聖書の神は全能の神である。この超偉大な神に、問題をゆだね、その解決を任せればいいのだ。
 (クリスチャン国際弁護士 佐々木満男氏 2004年11月6日の講演記録より)
「問題のない人はお墓の中にいる人だ!」とアメリカの有名なノーマン・ビンセント・ピール牧師は言った。問題があるということは生きているということなのだ。生きている限り、問題を抱えざるをえない。神を信じて死んだら天国へ行けるのだから、もう問題は何一つない。この世においても、神を信じれば、「問題を問題としないで生きる」ことができる。だから、佐々木先生は、「問題がなければ問題だ!」と言う。問題がないという人は、もうお墓の中なのだ。生きているということは問題があるということであり、問題があるからこそ、人はキリストの姿へと成長する。

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